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放送大学の受講ノートとやや偏好気味の読書感想です

現代東アジアの政治と社会  14.東アジアの格差問題-要因としての教育問題

14.東アジアの格差問題-要因としての教育問題

 東アジアで深刻化する格差問題について、教育格差に焦点をおいて考察します。中国においては特殊な戸籍制度が、都市と農村の格差、教育の格差を生んでいるとみられ、この格差問題は、中国だけでなく東アジア全体に存在します。

 

 中国において、毛沢東が最終的に目指したのは「共同富裕」であった。その方法は大多数を占める農民の貧困改善により、全体を底上げする方式であり、資本主義の横行は格差を拡大するものと警戒したため、走資派を徹底的に弾圧した。一方で劉少奇共産党員の修養徹底と経済改革により、農民の生活も向上すると主張し、改革・開放の萌芽となった経済調整政策を実行した。そのため文革期に糾弾され、殺害されることになるが、同時に走資派として下放されていた鄧小平が文革後復活すると、劉の遺志を継ぎ改革・開放を実現させる。鄧が改革・開放政策発動にあたり提起した理論である「先富論」の先にあったのは、毛と同様「共同富裕」であった。しかしその方法論は大きく異なっていた。鄧は「一部の人々、一部の地域が先に富むこと」を容認し、「先に富んだ人々が貧しい人々を扶ける」ことを期待した。しかし現在格差は広がるばかりである。原因は何か。

  第2次天安門事件の翌年にあたる1990年12月、中国政府は国民経済の目標を「温飽」から「小康」に転換させると発表した。国民の90%が貧困から「温飽」へ移行し、改革・開放の最大の成果であると強調したものだが、農村における貧困は依然解消されておらず、政治的アピールであった可能性が高い。鄧は重要談話のなかで、「世界経済に参入するためには市場経済なしには不可能」どあると強調し、改革・開放政策の更なる推進を図る。1992年には全面的な市場経済導入に踏み切り、改革・開放は第二段階に入り現在に至る。格差はこの時期から一気に拡大した。2002年には「私営企業家」の入党が正式に認められた。これは階級闘争が政治目標だった共産党において、画期的な決定であった。第2次天安門事件直後に党の総書記に就任した江沢民は、「共産党は労働者階級の前衛だ。搾取にしがみつき、搾取で生活する人を入党させて、どんな党にするのか」と発言し、彼らの入党を断固拒否したが、その彼が2000年には「私営企業家は党の改革と先富政策の下で育ち、もともとは労働者であった」、「中国の特色ある社会主義事業の建設者である」と定義付け、入党を許可したのである。しかし、階級概念論からすれば、私営企業家は資産階級そのもので、現在その後継者が相続税贈与税無しに資産継承しているという現状をみれば、彼らを労働者の一部と認知するのは論理的に無理がある。改革・開放後期には一気に市場経済は加速し、党籍をもった富裕な資本家層が出現することになる。党籍は利益につながるため共産党員は年々増加し、2019年7月時点で9,000万人を超えている。

 2007年10月、江沢民を引き継いだ胡錦濤総書記は、格差などの社会矛盾を是正し「和諧社会(調和のとれた社会)」建設を目指すと宣言した。これは改革・開放によってもたらされた、経済社会面の格差問題を共産党が公式に明らかにしたものであった。しかし「和諧社会」の達成は困難を極めている。その格差の拡大と固定化の最大の要因には教育問題が存在し、それには人口政策、戸籍問題が大きく関連しているといえる。文革期、大学生の募集を5年間停止するなど教育には様々の深刻な打撃が与えられた。農村にはほとんど中学が無かったため、農民自らが「民辧中学」の設立、普及に励んだ。文革終了後は鄧小平が教育問題に熱心に取り組み、まず大学・専門学院などの高等教育の立て直しから始めた。高等教育は早期に改革が進んだが、義務教育導入の法整備や党内調整に時間を要し、また農村部は人民公社内に小中学校があったため初等・中等教育改革は迅速には進まなかった。ソ連をはじめとする社会主義国では、義務教育制度は採用されなかった。それは資本主義発展の礎であり、児童労働を禁じた義務教育に反発するマルクスが、貧しい労働者・農民のために勉学と労働を共存させる多様な形態の教育制度確立の重要性を訴えたためである。中国でも建国以前、毛沢東が「半工(農)半学」の革命教育である「解放区教育」を実施しており、文革期には1966年5月7日にいわゆる「五・七指示」を発令し、学業と工業・農業・軍事の両立を指示したため、大学を含むすべての学校は閉鎖されたのである。1967年以降全国の学校は散発的に、部分的に再開されたが通常の授業形態とは程遠いものだった。1985年、「全国教育工作会議」において建国後初めて義務教育問題が議論された。翌86年、まさに日本に遅れること100年目にして「義務教育法」が採択された。施行から93年までの小学校入学率は97.1%だったが、中退者が多く、初級中学への進学率は76.1%にとどまり、9年制の義務教育の普及は困難を極めた。また中学入学には選抜試験が必須であり、中学浪人を強いられる生徒や、学業不振で留年する生徒も見られる。その逆に優秀な生徒は「飛び級」が認められており、詰込み式の「応試教育」が行われてきた。また、高校進学率は2017年には90%まで上昇しているが、これは中学校卒業者対象の数値であり、小中学校退学者の多さを考慮すると、まだ低水準といわざるを得ない。 

 中国の特殊な戸籍制度も、教育格差の一要因である。中国は農民の農村からの移動を禁止し、都市住民のための食糧生産に専念させてきた。しかし改革・開放政策は外国の投資をよび、中国は「世界の工場」化していき、農村から都市へ、安い労働力としていわゆる「民工」の流入が急増した。農民が都市に出てくる場合、雇用企業の許可証が必要だが、その都市の戸籍は取得できない。中国の戸籍は日本の住民票の機能に類似しているため、民工として働く農民はその都市の住民サービスを受けられないのである。民工たちは家族単位で移動することが多く、民工の子は農村の戸籍であるため出稼ぎ先の公立学校には入れない。よって私塾に近い無許可の「民工学校」に入ることになるが、高い学費や教育環境の劣悪さも存在し、就学のために子供だけ農村に帰る「留守児童」の増加も問題となっている。戸籍の壁に阻まれ、都市の公立学校に行けない民工の子の就学問題は、戸籍制度改正問題とあわせて習近平政権の重い課題となっているのである。2017年李克強首相は戸籍制度改革に着手し、学歴・居住年数・社会貢献度などを点数化した選抜制度を実施し、都市戸籍を取得できるようにした。しかし北京市の合格率はわずか5%にとどまり、都市戸籍を特権化する可能性が出てきている。

 「一人っ子政策」も教育格差に影響を及ぼしている。童農を望み条例に違反してでも、男の子が生まれるまで子供を生み続けるケースも珍しくなかった農村に比べて、都市では一人っ子政策達成率はほぼ100%で、一人っ子の「小皇帝」化や「貴族学校」よばれる私立学校の教育費の高騰が問題となった。都市では教育費がかさむために、少子化となる一方、貧しい農村では教育の質や内容にも問題を抱え、中学卒業率も低く高等教育を受ける機会もほとんどないといえ、都市と農村の格差は、教育の格差の拡大により固定化する恐れがある。

 改革・開放後は個人所得も向上し、高学歴ブームとなった中国では、1999年高等教育機関の募集定員を3割増大させ、前年より51万3,200人も多い159万6,800人となった。これより年々募集定員は増大し、2007年には1999年の3.5倍(566万人)に拡大した。まさに高等教育の急速な大衆化が起きたのである。この募集定員増加の背景には「教育産業化論」が存在する。すなわち、定員増と学費の値上げにより財源を確保しようとしたのだ。1999年の定員拡大と同時に国公立大学は学費を40%値上げし、これにより貧しい優秀な農民の子等の高等教育への進学は極めて困難となっている。また、「両包制度」の廃止により、大学生は職業選択の自由を手に入れたが、代わりに就職難が社会問題となった。大学卒業生数の急増が原因であり、都市内部での格差が深刻化している。

 中国に比べて、日本・韓国・台湾の教育の機会は均等であり、義務教育は完全に普及している。高校への進学率も高いため、大学進学率も他地域と比べて高い。日本は2017年の調査で45.1%の大学進学率であったが、台湾約90%、韓国約93%とこの2ヵ国は世界有数の進学率を保っている。日本の進学率は世界ランキングで44位であり、先進国の中では決して高いとは言えない。日本では80%以上が私立大学で圧倒的に多く、また、2013年から行われた改革により、独立法人化された国公立大学は、裁量権が与えられたために学費が上がった。そのため学費が高く大学進学を経済的理由で断念せざるを得ない家庭も存在する。このような状況下では、教育の格差が社会的格差につながっているのが日本の現状だ。従来日本では終身雇用が重んじられ、アメリカのようにステップアップのために転職する行為は「負」であった。これに「聖域なき構造改革」を実践したのが小泉純一郎内閣であり、労働構造は激変し非正規雇用の労働者が急増したのである。非正規雇用労働者をフリーターと規定すると、その学歴別構成比は大学卒が男性12.5%、女性8%に対して、中卒・高卒では男性71.3%、女性65%と圧倒的に高い。正規と非正規の生涯賃金の差は1億円以上あるともされており、教育格差は雇用格差を生み貧困を招いているといえる。賃金の低さ故に結婚もできず、年金も低い彼らが高齢になった時の高齢者の貧困問題が、今まで以上に深刻化するのは必至であるといえる。

 

下流老人とは「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」と定義され、高齢者の貧困問題に警鐘を鳴らした。しかし、当時の高齢者が抱える問題より、はるかに深刻なのが、中高年化した氷河期世代が老後を迎えるときである。氷河期世代は雇用政策において翻弄されただけでなく、自己責任という言葉のもとに、あらゆる社会政策から放置されて今に至る。まさに政府に犠牲にされた『棄民世代』といってもよい。彼らが高齢者でなったときには、下級老人の比ではない貧困問題を抱えた棄民老人が誕生する。それは当事者である彼らだけの問題だけでなく、日本全体を揺るがす衝撃の未来が待ち受ける。誰にとっても他人事ではないこの事態にいかに対処するか。社会福祉の現場から来るべき危機に警鐘を鳴らす。