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放送大学の受講ノートとやや偏好気味の読書感想です

現代東アジアの政治と社会  13.東アジアの人口問題-共通化する少子高齢化現象

13.東アジアの人口問題-共通化する少子高齢化現象

 合計特殊出生率の低下による少子化と平均寿命の延びによる高齢化現象は、日本だけではなく、台湾、韓国、香港、北京や上海などの中国都市部で深刻です。その原因は何でしょうか。東アジアに共通する問題点を分析します。

 

 歴史的にみると、人口論には二つの潮流があった。マルサスは1978年、『人口論』の中で「人口は、制限されなければ等比数列的に増大する。生活資料は、等差数列的にしか増大しない」と警告し、人口抑制の必要性を説いた。この時期の世界人口は10億人に急増しており、マルサスは人口抑制を人間の「道徳的抑制」にのみ頼ろうとしたが、1824年、ブレイスが『人口原理の例証』を出版し、初めて「出生制限」論を提起した。この新マルサス主義は、人為的・強制的「出生制限」に対する宗教的是非をめぐり、大論争を再燃させた。人間の労働価値を高く評価するマルクス主義の登場は、マルサス主義・新マルサス主義への批判を先鋭化させた。マルクスは対抗概念としての「人口資本論」「人手論」などの人口論を展開するのである。

 国際的には、1960年代から人口論争は再燃する。1972年に出版されたローマ・クラブの報告書『成長の限界』は、人口爆発に伴う資源・食料の不足、環境の悪化を予見し、世界に警鐘を鳴らした。この論争から「経済発展こそが政治的・社会的安定をもたらし、人口過剰は経済発展の最大の阻害要因となる」という「定説」が生み出される。国連は1974年を「世界人口年」とし、8月にはルーマニアブカレストで第1回世界人口開発会議を開催した。そこでは人口抑制の目標が定められ、各国は人口政策を実施する義務を負う事を承認した。当時ブカレスト会議の採択にはカソリックイスラム教及び第三世界の国々から強い反発があり、深刻な南北対立が浮き彫りになった。

 世界の人口は1800年には約10億、1930年に約20億人と130年かけて2倍になった。その人口が2倍の40億人になるのにはわずか45年しかかからず、1975年であった。そして99年11月にはついに地球の生態系の許容範囲を超えるといわれる60億人に達した。2019年4月に発表された「世界人口予測・2017年改訂版」では、毎年8,300万人の人口増加が見込まれ、2030年には86億人、2100年には112億円になるだろうと警告している。

 日本の人口は国勢調査を開始した1920(大正9)年の人口は5,596万人で、2004年の1億2,779万人をピークに、翌2005年から出生数よりも死亡数が上回る「人口自然減少」へと転じた。そして2046年には1億人を下回り、55年に8,993万人になると予測されており、100年前の1950年代半ばの数値では同じだが、その人口構成は大きく異なっている。高齢者とは65歳以上をさすが、人口に占める割合が21%で超高齢社会となる。日本は、2010年に超高齢社会に突入したが、55年にはその割合が40%を超すと予測されている。現在世界で超高齢社会となっているのは日本だけだが、2022年過ぎに韓国、台湾、香港が、30年前後には中国が超高齢社会に突入すると予測されており、東アジア全体が長寿と常態的少子化状態にあることがわかる。

 人口ボーナスとは、生産年齢人口(15~64歳)の増加率が人口増加率よりも高くなる状態を指す。戦後の日本は、人口ボーナスの恩恵により高度成長を実現した。しかし、1990年には人口オーナスすなわち生産人口が急減し、同時に高齢人口が急増する状態に陥り、それが加速化している。人口オーナスはGDPを引き下げることになり、国民に貧困をもたらし、高齢者福祉の負担が生産年齢人口を直撃することになるのだ。この状態の改善には、少子化対策、生産年齢の引上げと年金支給年齢の繰下げの検討が必要である。少子化とは出生率が低いことを指すが、日本では人口に維持必要とされる2.07の出生率を1974年には2.05と下回り、2005年には史上最低の1.26になった。その後緩やかに回復したが、2017年には出生率は1.43、出生数は前年比で3万人減の94万6,060人にとどまっている。今後出生率が上がったとしても、分母である出産女性数が減少することを考えると、人口減少は必至である。この現象は他の東アジアの国と地域でも同様に見られることとなる。

 その背景には、女性の高学歴化と社会進出、その女性らを支える社会の受け皿が未熟な点が少子化を加速している原因の一つである。ヨーロッパ諸国と比べて東アジアの少子化対策は極めて貧困である、と言わざるを得ない。東アジアでは、儒教的、家父長的な価値観の下、子育ては特に母親の役割とされてきた歴史があり、社会が子育てを負担するというヨーロッパのような子育て支援社会の形成が遅れているのである。日本では2019年にようやく幼児教育・保育の無償化が実施されたが、待機児童問題は解消されず、保育士、幼稚園教諭の不足や待遇改善など問題が山積している。一方、フランスでは「住居と教育・保育行政は節約しない」方針を確立し、手厚い少子化対策を実行した結果、2017年には出生率を1.88まで回復させた。また、高等教育まで教育は基本無償である。東アジアの教育費の高さも少子化の原因の一つと考えられ、早急に改善されなければならない。



「もっと早く、せめて団塊ジュニアが結婚、出産期に入るまでに、手が打たれていれば……」。1・57ショック(1990年)から30年。いまだ出生率が低迷し、人口減少が始まっている日本。家族社会学者である著者は、失敗の原因を、未婚者の心と現実に寄り添った調査、分析、政策提言ができておらず、また日本人に特徴的な傾向・意識、経済状況を考慮しなかったからだと考える。日本特有の状況に沿った対策は可能なのかを探る。

 中国においては、1974年2月に毛沢東が「三つの世界論」を提起し、ブカレスト会議では第三世界の立場で参加し、先進国主導の人口抑制政策に強く反対した。その中国が、1978年12月から「一人っ子政策」を導入し国家主導の人口抑制に踏み切ったことは、世界に衝撃を与えた。中国の人口政策は「マルクスからマルサスへ」の大転換であり、カソリック協会やアメリカの人権派から強い批判を受けた。

 中国の人口はアヘン戦争勃発時の1840年代初期には約4億1,000万人だったのが、1949年10月の中華人民共和国設立時には5億4,167万人といわれた。この約100年間は、侵略と内戦、自然災害や不作等の負の環境が続き「多産多死」の状況であり、人口増加率が極めて低かった。このことは毛沢東の判断を狂わせた。毛は建国後「人口は国力の象徴」であるとし、マルクス人口論の影響も受け「毛沢東人口論」を展開する。共産党内の人口抑制論を封じ、「産めよ増やせよ」政策が実行された。また、農業立国であった中国では、従来より男子の労働力が不可欠とされ、儒教の家父長制の伝統は「多子多福」を醸成した。これに、土地革命と農業の社会主義的改造(集団化)が進むと、「多子多福」は「多子多得」へと変質する。生産物の分配や生産請負制の導入は、農民の多産を促したのである。これが「一人っ子政策」が農村で徹底しない原因の一つとなった。一方、文化大革命前期(1966~1971年)には、1億2,691万人が純増したともいわれている。紅衛兵運動・学校閉鎖などが「若者の暴走」を生み、結果「婚外婚出産」が増大したとみられる。中国の人口は1988年末には10億9,614万人に達した。建国時の2倍の人口になるのに、たった40年しかかからなかったことになる。

 中国において、建国後人口問題が議論されるようになるのは1953年7月の第1回人口センサス後である。54年に12月には劉少奇は「節育」の必要性を説き、北京大学学長だった馬寅初は「新人口論」の中で人口増加が経済発展の阻害要因になりうると主張した。馬寅初の主張はブカレスト精神の先取りといえたが、毛沢東人口論への挑戦と受け止められ、反右派闘争の渦中58年4月には「中国のマルサス」というレッテルを貼られ、60年3月、学長職を解任されて失脚した。その後劉少奇の指導下で計画出産指導機構が設けられ、節育が試行されたが、文革の発動はこの芽を摘んだばかりでなく、人口の急増をその結果として招いた。ここから「一人っ子政策」導入の道が拓くことになる。

 文革前期の人口急増に危機感を感じた周恩来は、1971年「計画生育」運動を再開させる。73年には「計画出産指導小組」が設立され、「晩婚・晩産、一組の夫婦に子供は二人まで」を基本方針とした。一般に言われる「一人っ子政策」は1978年の天津市医学院の女性教職員44名が連盟で、市政府に提出した「一人っ子提議書」から始まったといわれており、この提議を受け全国計画出産辦公室主任会議が開催され、ここで「一組の夫婦につき子ども一人」決定され、「独生子女証(一人っ子証明書)」の配布が開始されたのである。一人っ子政策では賞罰制度が設けられ、一人っ子宣言を実施した夫婦には優遇政策がとられ、非実施の夫婦には賃金カットなどの罰則規定があった。また「人口目標管理責任制」の実施は、地域における隣組の監視や職場請負制的役割を果たし、達成率を競わせることとなった。都市における達成率は高かったが、農村では違反が続発した。農民は男子誕生を望み、生まれるまで生み続ける一方で、罰則を恐れて先に生まれた女子や障害児を戸籍に入れないことも多くみられ、戸籍を持たないいわゆる「黒孩子」の増加が社会問題となったのである。2011年時点での無戸籍人口は1,370万人とされ、彼らは教育を受ける権利を失うなどの深刻な状況にあり、中国政府は特例措置として戸籍を与えるなどして現在救済に取り組んでいる。

 1984年、第2回世界人口開発会議においてアメリカのレーガン大統領は、中国の人口抑制政策を強く非難し、国連人口基金への援助金約40億円を停止すると発表した。これを受け、段階的・地域別に条例が改正され、農村部での第2子出産条件が拡大・緩和された。一人っ子政策開始から36年目の2015年10月、共産党はその政策を廃止し「二人っ子政策」施行を決定した。「一人っ子政策」では男児優遇、優生思想の風潮を生み人口のアンバランスが顕著となった。2015年の男女比は男7億414万人、女6億7,041万人であり、男性が3,388万人多いとされ、結婚できない独身男性(光棍児)が2020年には2,400万人になるとの予測もある。また、一人っ子に対する過保護や過干渉は「四二一症候群」と呼ばれ、自立できない、子離れできない共依存の問題が深刻となっており、高齢化する親の介護問題も生産年齢人口に重くのしかかってくる。

 中国では高齢者の人口比が2035年には20.9%、50年には26.3%に達すると予測されており、これに対して生産年齢人口は2020年の70.4%から50年には59.7%に落ち込むともされている。また、出生率も北京などの都市部では1.0を下回っており、2003年には自然増加率もマイナスに転じた。農村で適用されていた二人っ子政策も都市部で適用されることとなったが、人口減少に歯止めはかからない。

 韓国は2018年、出生率が0.98、出生数が前年より3万人少ない32万7,000人の過去最少を記録した。世界でも最低水準の出生率に急落し、また平均出産年齢が32.8歳と年々上昇する傾向で晩婚・晩産化が進んでいる。その背景には、若者の経済格差、女性の社会進出と儒教文化の影響などが考えられる。韓国は世界で有数の高学歴国である上、成人男子には約2年間の兵役があるため就業年齢が高い。しかも40代後半で「肩たたきが始まる雇用慣行の存在」があり、結婚・出産をあきらめる「3放世代」が出現した。また、韓国の女性(25~29歳)の就業率は70%前後(2008年)だったが、日本同様育児休暇をとると昇給・復帰に悪影響がある企業文化があるため、キャリアアップのために未婚を選択する女性が増えている。2009年、政府は「アイサラン(子ども愛)プラン」を実施し少子化対策を実行しているものの効果はまだ見られない。そして敬老、孝道を諸徳の根本とする儒教文化は、老後の扶養形態を家族責任により保障するものとしたきた。そのため介護は娘や嫁の仕事とされ、職業との両立を難しくしている。

 韓国でも中国同様、人口抑制政策がとられてきた。朴正煕政権は中国より17年も早く、1961年5月に人口抑制政策を導入しこれを国策とした。80年代には中国同様人口の男女比にアンバランスが見られるようになり、1994年韓国は人口抑制政策の放棄を宣言した。その後は少子化対策に転じたが、家族主義が強く、社会の受け皿が日本同様にできていないため、その成果が見られないのが現状である。

 台湾においても、国家主導の人口抑制運動が実施された。日本統治が終わる1945年600万人だった人口は、内戦による大陸からの移住もあり、63年には1,200万人と2倍になった。1964年、「妊娠前衛生」計画が実施された。これは、看護婦に直接農民を巡回させ、農民に家族計画の知識と方法を普及させるという、農民の教化を目的としたゆるやかな人口抑制政策であった。その後出生率は徐々に下がり、女性の大学進学率向上に伴って、2010年には1.0を下回った。

 台湾では超学歴社会で教育費にお金がかかり、子育てに後ろ向きな意識が若者の間に存在する。また男子が徴兵で就業が遅れるため、雇用は女子に有利な状況もあり、就業している女性は90%を超えており、幹部に昇進する数も多い。子育ては家族型保育が多く、キャリアアップを優先し、結婚・出産を選択しない女性が増えているといえる。

 東アジアにおいては、戦後政府主導で人口抑制政策が実施された。結果、経済発展を遂げ高学歴社会が創出され、女性の社会進出が増えた。一方で旧態依然の家族主義から脱却していないため、出産・子育ての社会的受け皿が未整備である。少子化対策のためには「子どもは社会が育てる」というヨーロッパ型の思想と支援の普及が急務であるといえる。